この映画の何が面白いかって、演技と演出それにカメラワークのどれも優れているものが一体となった映像を鑑賞しているうちに、
あれ? いったいこれは凄いことなのか?
わからなってしまってしまうところ、だと思うのです。
この感覚、「何かに似てるな・・・」と思っていたら、昨年と今年の連続2回ラスベガスへ行って、ショー、 『シルク・ド・ソレイユ О(オー)』を観た、あのときの昂揚です。
ご存知のとおり、元オリンピック選手とか、世界中から選りすぐりのアスリートを集結したサーカスですから、一人ひとりの演技があまりに凄すぎて、それがどんなに大変な演技なんだか(?)見てる側はわからなくなってしまう、「脳が麻痺して、目の前で起こっていることがむしろ、当たり前のように見える」という、あの錯覚です。
話をもどそう。 そうそう「ショーシャンクの空に」の役者の演技。 アンディー役のティム・ロビンス(Tim Robbins)やレッド役のモーガン・フリーマン(Morgan Freeman)の演技については、
ま~っ、まずみて下さい!
原作ではレッドはアイルランド系白人なんですが、映画ではアフリカ系アメリカ人のフリーマン(黒人)にしたあたり、彼のナレーションもみごとに相まってぴったりレッドにどハマってます。
カメラワークについては各箇所あれど、1つだけ取り上げるならここ。 「これ、どうやって撮ったん?」

これこれ👆
アンディがショーシャンク刑務所に収監される日、カメラは上空からまず刑務所の正面を撮り、それからグルっと回り込んでいって、視聴者がまるで刑務所の内部(中庭)にダイブする感覚に襲われる・・・ようにカメラが入っていきます。
この時、画面右の青い旗は、キレイに右から左へとハタメいているのだよ・・・
ドローンもなかったこの時代(1994年公開)に、おそらくヘリコプターから撮っているのだろうが、この旗がちょうど良い具合に真横に広がって見えるように右から風を送っていたのでしょうか? としたら、右の建物の右下に大型の扇風機を設置して風が建物の壁から屋根にそって画面左側にカーブして流れるようにしなければなりません。
もしくは天にお任せして、自然の風向きを予想しながら何度もなんども撮影をくり返す。
さて、この映画の感動的シーンはいくつもあるのですが、最もお馴染み有名なのはやはりラストシーン、アンディとレッドが太平洋に面するメキシコの海辺*で再開するシーンだろう。
* アンディとレッドの再会は米領ヴァージン諸島のセントクロイ島にあるサンディポイント国立野生生物保護区で撮影された。
白い砂浜とどこまでもつづく太平洋の青い海。
ー レッドは刑務所を出て、アパートの独居老人パート生活からも見切りをつける。 南行きのバスにのり国境を越え、アンディがいるであろう砂浜をよれよれのシャツ・ネクタイ姿、脱いだ上着と革靴を肩にかけ、とうとうアンディを見つける ー
音声もなく、再会の抱擁をかわす二人のシーンは何度みても涙が出ます。
余談です、この映画には冒頭のところにモーガン・フリーマンの息子(次男)がちょっとだけ出ています。 あともう1か所、写真に使われています。 この次男の出演シーンは2カ所だけ。 どのシーンの誰の役だかわかるかな? 映画は観たけど「フリーマンの息子が出てるとは知らなかった」、と見逃している方は是非もう一度見て頂きたいです。

さてこの映画の原作 “Rita Hayworth and Shawshank Redemption”(刑務所のリタ・ヘイワ―ス)。 作家はスティーブン・キングです。 日本では「スティーブン」と呼ぶらしいのです。 他国の読み方・発音を尊重するのが日本人の優秀なところと思っていたのですが、この作家の名前だけは「ステファン」が「ステーブン」になっちゃってます(!?) アメリカの作家なので、ここは本国をリスペクトして私はステファン(Stephan)と呼びます。
さておき、映画との大きな違いは、小説の中では「主役は一貫してレッド」だという点です。 しかもレッドはフリーマンのような黒人ではなく、アイルランド系白人(ステファン・キング自身もアイルランド系アメリカ人)です。 髪の毛が赤いからニックネーム「レッド」と呼ばれたと。 後から刑務所に入ってきたアンディをその収監から脱獄まで、レッドの目で描かれています。 ここでレッドはアンディの第一印象を
金縁眼鏡をかけた身嗜みの良い小柄な男
と述べています。
映画との違いはほかにもある。 年老いた囚人ブルックスが図らずも弊の外に開放されてしまうが、それまで刑務所で何十年も「保護されていた」身分から解かれて自由な社会に放り出される老囚人に待っていたのは、過酷で孤独なアパート暮らし。 どんなに残酷なことか、映画では克明に描かれています。 この辺が監督(Frank Darabont フランク・ダラボン)や演出家が伝えたかったことなんでしょう。 が、原作にはこのブルックスの自殺シーンはありません。
例の映画のラストシーン、じつはこれも小説にはありません。 これを聞いてショックな映画ファンもいるかもしれないけど、このラストシーンが小説の中にはなくても、原作を読んで損はないです。 むしろ、原作を読むことで、映画化が成功した例として突出していることに気づくであろうと保証します。 世界中を感動させ今も繰り返し視聴するファンがいるのも、納得できるはずです。

映画と原作のプロットの違いを楽しめるだけでなく、原作を読みながら、それが日本語に翻訳されているにも関わらず、ステファン・キングのストーリーを構築する力と、登場人物に魂を注ぎ込みキャラクターを確立させる能力を思い知らされ、「ううっ」と唸るしかないのです、私もあなたも。
さて、日本語では、この『刑務所のリタ・ヘイワ―ス』は、これもステファン・キングが書いたあの『スタンド・バイ・ミー』と同一の本、『ゴールデン・ボーイ』に収められています。 名映画2つの原作が同じ作品1冊に収録されているというのは、かなりのお得だと思いませんか?
